マリは、シリアにあるシュメール人の都市国家です。シュメール人の中のアムル人たちが作った都市国家。メソポタミアの様々な都市国家の粘土板に「マリには立派な王宮があった」という記述があったのですが、肝心のマリが、どこにあったのかまったくわかりませんでした。砂に埋もれて発見されていなかったのです。
それがある日(1900年代に入ってから)、お墓に使う石を探して砂漠を掘っていたところ、人の像が砂から出てきました。イスラム教は偶像崇拝を禁じているため、大騒ぎになりました。それを聞きつけたルーヴル博物館から本格的な調査隊が派遣され、そこを掘ってみると神殿が出てきました。ユーフラテス川の岸辺にある現テル・ハリリこそが古代都市のマリだったのです。
どうしてそこがマリだ、と判明したのかというと、その神殿から出てきた人の像の右肩に楔形文字で「私はマリの王××である。この像を神殿に捧げる」と書いてあったからです。伝説と化していたマリが再び日の目を見ることになりました。
ちなみに最初に発掘された像は代官エビフ・イルといい、その目は貝とラピスラズリでできていました。当時ラピスラズリはアフガニスタンでしか出土されず、とても貴重なものでした。どうして神殿から像が出てくるのかというと、自分(生身)の代わりに神にずっと祈り続けるために、です。身代わり。王や貴族は忙しく頻繁に神殿に行くことができないから自分の代わりに像を置いておくのです。それらの象は体の前で両手を組んでいます。
・・・こんなところかしら。粘土板は2万5000枚出土してます。膨大な量です。公文書館を掘り起こしたかららしいです。書記養成学校もあったみたいです。その跡も発掘されています。古代において書記というのはとても身分の高い職業でした。誰もが文字を読んだり書いたりできるわけではないからです。公文書を記すことになる書記は高度な職業だったんですよ。
うーん、怪しいなぁ。なんとかなるかな。勢いでウルも行っちゃう?
ウルはイラクの現テル・アル・ムカイヤルにあるシュメール人都市国家です。ジッグラトという日干し煉瓦を積み上げて作った神殿を中心にした都市でした。ジッグラトの壁には瀝青という天然アスファルトが塗られていました。天然アスファルトは水に浮くからです。
なぜそんなことをしたのかというと、洪水から身を守るためです。洪水が起きたときジッグラトは避難場所でもありました。エジプトではナイルの氾濫は神の恵みだと考えていましたが、ウルでは洪水は神の罰と考えられていました。ナイルの氾濫は周期的でしたが、ユーフラテスは全く予想が出来なかったのです。
ウルの代表的な遺跡は上記のジッグラトとウルの王墓です。ウルの王墓では西アジアには珍しく殉死者がいました。その数なんと80近く。ほとんどが女性で牛などの動物もいました。そこから出た副葬品は大英博物館に収蔵されています。
その中でも有名なのはスタンダードと呼ばれるものです。台形の箱のような形のもので、戦争の面と平和の面があります。ラピスラズリや貝や金銀が使われています。その他の副葬品をとってみても、金やラピスラズリがふんだんに使われています。そのことからもいかにウルが大きな都市だったかが伺えるでしょう。
・・・こんな感じ。ざっくりと語ってみると。というか今回必要そうなことは。大丈夫かなぁ・・・なんとか頑張りますけれど。ダメだったらまた頑張るさ。なんとかなるなる!ファイト自分!
ハリポタゲット。予約するといろいろ特典もらえたみたいですね・・・華麗にスルーしてましたが。予約受付って、どれくらい発行するかの目安にするものなので、そんな目盛になりたくないぜ!と思って予約しませんでした。いえ、面倒だっただけです。
今日はさっきマリとウル語ったみたいに、まとめて調べなおす作業をしていたので、開封する暇すらありませんでした。まだやること残ってるし。明日・・・いや、我慢できるなら明後日まで伸ばしたい。まぁ、なんか報道で騒げば騒ぐほど冷めてるんですけどね。なんであんな騒ぐんだ・・・。
古代いいよなぁ・・・やっぱり考古学者になりたかったなぁ、と思えて仕方ない。大学入りなおそうかな、そんなお金どこ探してもないけど。
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