でもでも。シンクロと新体操には物申したい。
・・・なんていうかですね、日本は「エンターテイメント性」が欠如しているのが、敗因だと思うのです私は。エンターテイメント性。メダルを取った国は、もちろん、ひとつひとつの要素をきちんきちんと丁寧にやっているのです。それは当り前。それに加えて、見ている者を楽しませる・驚かせるエンターテイメント性、言いかえるならばドラマ性を演技に盛り込んでいたのです。日本にはそれがなかった。
ショーでなければならない時代に来たのだと思います。綺麗に見せるだけでは、もうすまされない時代に踏み込んだのではないかと思います。何こいつ偉そうなこと言ってんだと思われること必至ですが、私のシンクロと新体操を見て、結果を受けての印象です。
綺麗に丁寧に要素をこなしているだけではダメ、それにプラスして意外性や独創性を盛り込んで、ショーに仕立て上げなければならない。他の国はそのエンターテイメント性を演技に組み込み、特にシンクロは日本人コーチを招き、ひとつひとつの要素をきっちりやるということも強化して、ここにぶつけて来たんです。
だから日本は、今後に向けて、舞台やショー関係から人を招くべきです。そして演技構成を作ってもらう。全く知識のない人でいいと思います。こういう技がありますよ、ということだけ教えて、組み立ててもらう。そうすると、今まで考えもしなかったものが出来上るのではないでしょうか。「そんなの無理!」ということになるでしょうもちろん。技の前後を考えないで作るんですから。これをやった後にこれは物理的に無理、ということになるでしょう。そうしたら、「じゃぁ、こうすれば出来ますか?」みたいな新しい提案が、出てくるのではないでしょうか。「これでは地味だから、これをこうしてこうすることは可能ですか?」みたいな発想が、出てくるのではないでしょうか。
内々でやってると、気付かないことはたくさんあります。だから、新しいところから風を入れてみるんです。結果駄目だったとしても、きっと得るものがあるはず。やってみてくれないかなぁ。舞台演出とかさ、ダンスとかさ、やってる人に作ってもらうの。
2016年は、東京だといいな。なぜロンドンで野球とソフトがなくなるのかというと、野球場を作る経費がないし、場所もないからです。ヨーロッパでは超マイナーですから、球場が元々無い。それを新しく作らなきゃいけないというのが、無駄ですよね。作った後も、どうしたらいいのか。だから外されたという面もあります。でも東京は、球場いっぱいありますから(いや、いっぱいはないか?)、足らなければ作ってもその後使えますしね!
ソフトの、メダル授与後の記念撮影がとても印象的でした。2016の再開を願って、という。アメリカとオーストラリアと日本の集合写真。すごく、よかった。正直、東京にオリンピックを!と言った石原に「はぁ?何で東京でやんなきゃいけないんだよ無理無理、北京でやったすぐ後じゃん。無理無理。そんなことに税金使わないでくれ!」と本気で思っていたんですが、でも、東京だといいな、と今は凄く思う。ボランティアで参加したいし。
・・・今、父と母に演技構成に舞台・ダンス関係の人を、という提案をしたら、「無理無理」と言われました。「おばはん連中が監督だーコーチだーってのがもうダメ」「そこにそんなの入れたって『何よ素人が』で終わりだ」「それが日本の嫌でダメなとこだ」という話でした。・・・・・・そうかもしれません。他の国は、そういうとこ頓着しないでやってるんだろうなぁ。うーん、どうにかならないものか。
閉会式にベッカムが出るって本当ですか。ジャッキー・チェンが出るって本当ですか。それ見たさに見てます。
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